京阪・出町柳駅から徒歩数分、下鴨神社や京都大学にも近い市街地に蔵を構える「松井酒造」は、1726年(享保11年)創業という長い歴史を持ちながら、非常に革新的な取り組みで注目を集めている酒蔵です。今回は、SAKEMAP編集部が実際に蔵へ取材に伺い、蔵元の松井治右衛門(まつい じえもん) 氏にお話を伺いました。マンションの1階にあるという驚きの最新設備から、AR技術を用いたボトル、そして日本酒の未来を見据える蔵元の熱い想いまでたっぷりとお話をききました。
休造を乗り越え「マンションの1階」で復活を遂げた洛中最古の酒蔵

松井酒造は、今年(2026年)で創業300年を迎える老舗の酒蔵です。しかし、その歩みは決して順風満帆ではありませんでした。
「途中、近隣の地下工事の影響で水が使えない時期もあり、お酒造りができないタイミングもあったんですよ」
高度経済成長期を迎えた頃、京都の地下鉄工事の影響で地下水の水質が変化し、酒造りの要である井戸水が使えなくなるという最大の危機に見舞われます。当時は輸入酒の台頭なども重なり、やむなく一時休造。伏見の合同会社に合流する形で、なんとか酒造りの命脈を保つ時代が続きました。しかし、「もう一度、先代が清らかな水を求めた地で酒造りを」という14代目の熱い想いから、2009年に現在の場所での復活プロジェクトが始動します。

法学の道へ進もうとしていた現蔵元(15代目)ですが、父からの「弁護士になれる人間は他にもいるけど、松井酒造の酒はお前にしか作れない」という言葉に心を動かされ、実家へ戻る決意を固めました。 復活の鍵となった「水」は、地下を10mおきに水質分析し、最も酒造りに適した地下50mの水脈を探し当てたもの。そして執念ともいえる徹底した調査によって掘られた新しい井戸が、17年前に洛中最古の酒蔵を現代に蘇らせました。

現在の蔵があるのは、なんと市街地のマンションの1階部分。わずか40坪という限られたスペースですが、一歩中に入ると洗練された空間が広がります。まず目に飛び込んでくるのは「テイスティングルーム 酒中仙」。

広々としたおしゃれなバーカウンターでは、ガラス越しにスピリッツの蒸留器を眺めながら、ゆったりと日本酒の飲み比べが楽しめます。

さらに、店内にはチャージ式のカードを使って非接触で気軽に試飲ができる最新の「日本酒サーバー」も完備。若女将が考案した酒粕のみで味付けした大人気の濃厚な粕汁や、京都独自の酒米「祝」を使ったおむすびといったこだわりの肴、さらには和菓子やチョコレートなどのスイーツとのペアリングも堪能できます。

併設された直売エリアには大きな冷蔵庫が備えられており、試飲して見つけたお気に入りのお酒をすぐにお土産として購入できるのも嬉しいポイントです。そして、この洗練された空間の奥へと進むと、いよいよ酒造りの心臓部が現れます。
潜入! 高品質を生み出す最新設備と手作業のベストバランス

徹底した空調設備によって四季醸造(一年中お酒を造ること)を可能にしている松井酒造。衛生・品質管理の観点から普段はお客様が蔵の内部へ入ることはできませんが、直売所では仕込みの様子がリアルタイムの映像で流されており、いつでも酒造りの臨場感を感じられるよう工夫されています。
「復活蔵ということもあり、比較的新しいものにチャレンジする土壌がある酒蔵だと思います」という蔵元の言葉通り、ここから「伝統と革新」の酒造りがスタートしました。
今回SAKEMAP編集部では特別に許可をいただき、専用のシューズカバーをつけて普段は入れない仕込みの現場を間近で見学させていただきました。

蔵の中へ入ると、そこにはピカピカのサーマルタンク(温度管理が可能なタンク)が並ぶ近代的な空間が広がっています。松井酒造の大きな特徴は、最新技術を積極的に導入している点です。しかし、それは決して「人間が楽をするため」ではありません。

発酵タンクや蔵内の温度は機械によって0.1℃単位で精密にコントロールされていますが、蒸し米の運搬や仕込みなどの重要な工程は、あえて人の手で行われています。仕込みタンクの周囲では、外国人蔵人を含む若いチームが、冷水で冷やしたお米を手作業で丁寧に混ぜ合わせる姿を見ることができました。

「最新の設備だけを見ると機械に頼った酒づくりをしているように思われがちですが、うちでは品質を高める部分だけに機械を使っています。温度管理など、人間では難しい0.1℃単位のコントロールを機械で24時間行うことで、お酒の品質を最大限に引き上げているんです。逆に、人の手でできることは全て手作業で行っています」
さらに現場で活躍するスタッフは若手が中心で、チームの顔ぶれも非常にグローバルです。松井酒造は京都という土地柄もあり、蔵を訪れるお客様の約6割が外国人観光客とのこと。そのため、英語や韓国語でのSNS発信も積極的に行い、世界へ向けて日本酒の魅力を届けています。
こうした合理的な設備投資や柔軟なチーム編成の背景には、松松井酒造が一度の休造を経て蘇った「復活蔵」であるという歴史が大きく関係しています。市街地のマンションの1階、わずか40坪という限られたスペースでの再出発は、古い慣習にとらわれずゼロから理想の酒造環境を構築するチャンスでもありました。
酒造りのストーリーを味わう「ARボトル」

松井酒造の革新性は、酒造りだけにとどまりません。商品を手に取る消費者へのアプローチも非常にユニークです。たとえば代表銘柄「神蔵」のボトルは、スマートフォンをかざすとラベルのマーカーを読み取り、お酒を絞る様子や米を洗う様子などを映した動画が流れるAR(拡張現実)仕様になっています。
「コロナ禍でちょっと蔵見学に来ていただけないタイミングがあったので、その時にこれをやってみようと思ったんです」
しかし、これはただ単に目新しいだけの仕掛けではありません。その背景には、「お酒が造られる現場の様子や、そこに込められたストーリーを知った上で飲むことで、日本酒の魅力や美味しさをより深く味わってほしい」という想いが込められています。実際に行われている丁寧な手作業の映像をスマートフォンで眺めながらグラスを傾ければ、目の前にある一杯の日本酒がより立体的で特別な体験へと変わるはずです。
日本酒離れが進む若い世代への危機感も、これらの取り組みの原動力だそう。「今の若い世代は生活の中に日本酒がない状態になっていると思うので、僕らがやることというのは『日本酒が生活の中にある』ということを認識していただくということがすごく大事だと思い、そこに向けた取り組みをやっています」
DJイベントも! 日本酒の「間口」を広げる次世代へのチャレンジ

そんな松井酒造の取り組みには、これまで日本酒を飲んだことがない人や、まったく興味がない人たちに、まずは手に取って飲んでもらうきっかけを作り、日本酒への「間口」を広げることが大切だという強い思いが込められています。
具体的なアプローチの一つが、有名なイラストレーターとコラボレーションしたラベルづくりです。お酒のオリジナルキャラクターを描いてもらったことをきっかけに、イラストレーターのファンの方がお店に来てくださるなど、これまで日本酒に縁がなかった新たな層の獲得に繋がっていると言います。さらに、DJの音楽と共に日本酒を楽しむクラブイベントに参加するなど、若い世代のライフスタイルに合わせた取り組みにも積極的に参加されています。

また、近年注目を集めている「My Sake World(マイサケワールド)」の取り組みにも参画しています。これは、京都の烏丸御池と四条河原町に店舗を構える日本酒のブレンド体験施設で、スタッフのガイダンスを受けながら飲み比べを行い、数種類の日本酒を自らアッサンブラージュ(調合)して「自分だけのオリジナル日本酒」を作ることができるという画期的なプロジェクトです。一つの酒蔵内で品質を均一にするための調合は一般的ですが、会社(酒蔵)の垣根を越えて異なる日本酒を混ぜ合わせることは、新たな製造にあたるため免許の面でもハードルが高く、業界では非常に珍しいことです。しかし、My Sake Worldはその壁をクリアし、消費者に新たな付加価値と体験を提供しています。松井酒造もこの趣旨に賛同し、自社のお酒を提供しています。「香水屋さんのように自分好みの香りを見つけるような、若者が興味を持ちそうな面白い体験。いろんな可能性を探ろうと思える酒蔵だけが参画している」と、蔵元もその挑戦を前向きに捉えています。
日本酒業界の未来を見据えてあらゆる可能性を模索し続ける松井酒造。現場を支える蔵のスタッフは若手が中心で、アメリカ出身の蔵人も最前線で活躍中です。さらに、蔵を訪れるお客様の約6割が外国人観光客だそうで、英語や韓国語でのSNS発信も積極的に行い、国境を越えてグローバルに日本酒の魅力を届けています。京都を訪れた際はぜひ足を運び、その「伝統と革新」を体感してみてください。











