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【廃校で醸す日本酒】体験型酒蔵で日本酒業界の未来を切り拓く栃木・前日光醸造所の挑戦

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン こしきの布が膨れ上がった様子

栃木県鹿沼市の奥地、日光国立公園の一部にも含まれる豊かな自然と清流に囲まれた「前日光」エリア。この地に、2015年に廃校となった小学校をリノベーションし、新たな命を吹き込んだ驚きの酒蔵があります。それが「前日光醸造所(小林醸造株式会社)」です。今回は、醸造家である小林一三氏に蔵の内部や実際の酒造り体験を案内してもらいながら、伝統的な酒造りへの熱い想いと、日本酒業界の未来を見据えた圧倒的なスケールの挑戦について伺いました。

廃校を酒蔵へ~事業承継が救う「日本酒業界の未来」~

栃木 前日光醸造所の入口外観

車を走らせて現地に到着すると、二宮尊徳の像や朝礼台がそのまま出迎えてくれました。「本当にここが酒蔵?」と疑ってしまうほど、かつての学び舎の面影が見事なまでに残る旧上粕尾小学校。

栃木 前日光醸造所の外観

2015年に廃校となったこの校舎をリノベーションし、新たな命を吹き込んだ驚きの施設が「前日光醸造所(小林醸造株式会社)」です。

前日光醸造所の内観

今にも児童が登校してきそうな雰囲気が漂うなか、ひとたび校舎の中に足を一歩踏み入れてみると、そこには酒器や酒樽が並ぶ異様な光景が広がっています。一体なぜ、廃校を酒蔵にするという異例の挑戦に踏み切ったのでしょうか。

醸造家 小林一三氏

案内して頂いた醸造家の小林さんに、早速お話を伺います。そこには、日本酒業界が抱える深刻な課題への危機感と、地域再生への強い想いがありました。

「実は現在、清酒の製造免許は新規での取得がほぼ不可能です。お酒を造るには、既存の酒蔵を買収して免許を承継するしかありません。しかし、後継者不足や負債などの問題で、それがスムーズに進まない現状があります」

前日光醸造所は、元々栃木県大田原市で明治40年から愛されてきた「池嶋酒造」が健康上の理由で酒造りを継続できなくなった際、中小企業庁の事業承継を活用して免許を引き継ぎ、この鹿沼の地に誕生しました。

「昭和30年代には約3,000社あった酒蔵が、現在では1,500社ほどに激減しています。なかでも黒字で経営できている蔵は、その半数以下と言われています。このままでは、10年後には酒蔵の数はさらに半減してしまうかもしれません

日本酒の文化を残すためには、免許をスムーズに移動させ、業界を安定させることが重要だと小林さんは言います。

前日光醸造所 廃校の教室

さらに、廃校を活用した背景には「地域課題の解決」という重要なミッションもありました。鹿沼市はかつて多くの酒蔵があり地酒で参拝客を楽しませていましたが、1987年以降はその地酒が途絶えていました。そこで、地元で育てた「イセヒカリ」や「山田錦」を使用し、地域のシンボルとなりえる鹿沼地酒の再生を目指しています

前日光醸造所 ハンガーにかけられた2着の白衣

また、学校が廃校になるということは、その地域から子供が減り、人が少なくなっていることを意味します。この手付かずの自然と良質な水を活かして、本格的な酒造り体験を提供する「観光資源」として施設を生まれ変わらせることで、首都圏(東京や神奈川など)から人を呼び込み、中山間地域に新たな雇用を創出することも大きな目的です。

前日光醸造所 酒蔵見学の1シーン

消えゆく酒蔵の灯火を守る事業承継と、廃校を拠点とした地域社会の再生。前日光醸造所の誕生は、単なる一企業の開業にとどまらず、日本酒文化と地方の未来を明るく照らす壮大なモデルケースとなっています。

【座学】教室で学ぶ日本酒の「発酵」メカニズム

前日光醸造所 酒蔵見学 廃校になった教室を利用した座学風景 机の上に乗った資料

今回私たちが参加した「日本酒造り体験日帰りツアー」は、黒板や机がそのまま残されている「教室」での座学からスタートします。

醸造家 小林一三氏による日本酒についての講義が廃校になった小学校の教室で行われた様子

まず小林さんから教わったのは、日本酒造りが極めて「科学的」であり、世界で最も高度な発酵技術を用いているということでした。

「例えばワインは、ブドウの皮に野生酵母がついているので、極端に言えば潰して置いておくだけで発酵が始まります。ビールは、人間が先に麦汁(糖)を作ってから酵母を入れます。しかし日本酒の原料であるお米は、そのままでは発酵しません。麹菌がお米を糖に変えながら、同時に酵母がその糖をアルコールに変える『並行複発酵』という複雑なメカニズムをひとつのタンクの中で同時に行っているんです

さらに、お米に水を吸わせる時間(吸水)の長さひとつで蒸し上がりの柔らかさが変わり、最終的なお酒が甘口になるか辛口になるかが決まるといいます。杜氏の頭の中には、この時点ですでに1カ月後の温度経過や、香りを出すタイミングなどの設計図(プロットライン)が出来上がっているそう。「日本酒のレシピは、まるで化学実験のように緻密な計算によって作られていく」というお話は、知的好奇心を大いにくすぐられるものでした

醸造家 小林一三氏による酒造りの工程や作業についてのレクチャーが廃校になった小学校の教室で行われた様子

酒造りの工程や作業についてのレクチャーを一通り受けたら、いよいよ実践です。

【実践】熱気と力仕事の本格「酒造り体験」

山の近くにある赤い屋根の建物の外観

座学の後は、実際の醸造室(旧体育館)へと移動します。「うちはディズニーランドと一緒で、お客様が主役です。自ら体験し、楽しんでいただくための動線や道具を用意しています」と、小林さんは語ります。

今回は、私たちも実際に酒造りの一部を体験させて頂きました。

前日光醸造所 抜けがけといわれる酒造り工程の一部

じつは教室での座学の前に、私たちは一度「蒸す前のお米」を見学させてもらっていました。そこでは、お米を蒸す前の工程として「抜けがけ(抜け)」と呼ばれる加熱操作が行われていました。抜けがけとは、酒米を甑(こしき)に入れる際に、一度に全量を入れるのではなく、蒸気が米の層を抜けてきたらその都度米を足していく手法です。これにより蒸気を通しやすくし、米の一粒一粒を均一にふっくらと蒸し上げることで、質の高い麹造り(糖化)に繋がると言います

前日光醸造所 抜けがけといわれる酒造り工程の1シーン

通常は前日から全てのお米を仕込んでおく酒蔵も多いそうですが、前日光醸造所ではこの「抜けがけ」を行うことで、蒸気が均等に回っているかを確認でき、お米のクオリティを落とさずに蒸し上げることができるのだと小林さんは語ります。効率よりも品質を優先する、妥協のない姿勢が垣間見えた瞬間でした

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン こしきの布が膨れ上がった様子

そして座学を終えて再び醸造室に戻ると、ちょうどお米が蒸し上がったタイミングでした。約3気圧の圧力がかかった甑(こしき)の布はパンパンに膨らんでおり、まるで巨大な圧力鍋のようになっています。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン こしきから布を外している様子

布を外すと、約150度にも達するという強烈な熱気と蒸気が一気に立ち上ります。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン 蒸米を放冷台に乗せる様子

甑(こしき)から出した蒸米は、放冷台に運ばれます。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン 放冷台に乗せた蒸米を放冷する様子

そしてここからが、今回私たちが体験した「放冷」という作業です。熱々の蒸米を放冷台に広げて、手で混ぜながら均等に温度を下げていきます。端の冷えたお米を中心に集め、真ん中の温かいお米と混ぜ合わせてまた広げる。これを目標の温度に達するまで何度も繰り返すのですが、この作業が想像以上の重労働でした。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン 放冷作業の様子

自然を相手にするこの放冷作業は、その日の気温によって下がる温度の限界や作業時間が大きく変わるという難しさがあります。暖かい日には、目標の温度まで下げるのに1時間半もかかることがあるそうです。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン

気温と目標温度の差を見極めながら、立ち上る熱気の中でひたすら米と向き合う時間は、まさに体力勝負です。それでも小林さんは、「私たちは基本的にお手伝いをしません」と語ります。それは、前日光醸造所が徹底した「お客様ファースト」を掲げているからです。 

「私たちが主役ではなく、体験する皆様が主役です。お客様がお米をこぼそうが口出しはしません。手を出さず、自分たちの手でやり遂げて、昔ながらの酒造りの醍醐味と気合いを存分に感じて楽しんでほしいんです

その言葉通り、自らの力で挑んだ放冷作業は、完了した時に大きな達成感を与えてくれました。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン 放冷した米を布にまとめてタンクへ移動させる様子

放冷が終わると、冷やしたお米を布にまとめ、2人1組で息を合わせてタンクへと投入します。

前日光醸造所 酒造り工程の1シーン 米を入れたタンクを櫂帽でかき混ぜる櫂入れという作業の様子

その後、大きなタンクに櫂棒(かいぼう)を入れてかき混ぜる「櫂入れ」作業も体験しました。重みのある櫂棒を動かすのはひと苦労でしたが、全身を使って酒造りの工程に携わったという確かな実感が湧いてきます。

前日光醸造所 酒造りを体験終えたシーン

これで酒造りの体験は終了です。自分が汗を流して仕込みに関わったお酒が後日手元に届き、それを味わうことができるというのは、他では決して味わえない大きな魅力です

なぜ「完全オーダーメイド」の酒造りにこだわるのか

前日光醸造所 バケツに入った水を抱える二人の男性

前日光醸造所を語る上で欠かせない最大の魅力が、タンク単位(60kg・4合瓶100本分〜)での「完全オーダーメイド醸造」ができるという点です。米の品種や産地、精米歩合、酵母、酒質に至るまで、顧客の細かな要望に合わせて醸造家と杜氏がゼロから味を設計します。

前日光醸造所 米の袋が重ねられている様子

さらに驚くべきことに、「地元の湧き水を使いたい」「自分たちで育てたお米を持ち込みたい」といった持ち込みの要望にも対応しており、オリジナルのラベルを作成することも可能です。個人のお祝い事や結婚の記念品から、企業のノベルティや飲食店のオリジナル酒まで、まさに世界に一つだけの日本酒を創り上げることができます。

では、なぜそこまで手間のかかるオーダーメイド醸造を行っているのでしょうか。そこには「日本酒造りの奥深さや面白さを多くの人に伝え、日本の伝統文化を肌で感じて誇りを持ってほしい」という強い想いがあります。だからこそ、その酒造りには一切の妥協がありません。

前日光醸造所の小型精米機

現在、全国の酒蔵の約9割が米の精米を外部に委託していると言われています。しかし、小林さんは「精米を委託するということは、お米の目利きができないということです。自分でお米を見て、この米を使いたいという思いがなければお米を大切にできなくなる」と警鐘を鳴らします。前日光醸造所では、国内の酒蔵でも希少な小型精米機を導入し、自社で徹底的にお米を目利きして精米しています。

前日光醸造所 精米の仕込み用データが印刷されたシート 横向きの神1枚

そして、お客様が希望する「甘口」「辛口」などの味わいに対して、自社精米したお米の吸水時間の秒単位の調整や、酵母の選定など、仕込みの段階からゴールを見据えた緻密な計算(プロットライン)が行われます。ただ完成したお酒を買うだけでなく、こうした設計図から共に考え、自分たちが関わった理想のお酒が形になる喜びを味わってほしい。それこそが、彼らがオーダーメイド醸造にこだわる最大の理由なのです。

職員室を改装したレトロなバーで「一期一会」の試飲を

前日光醸造所の直売場兼バー 窓から和かな日差しがあり木製の家具や床に当たっている

熱気あふれる醸造室での酒造り体験と深い学びを終えた後は、かつての職員室を改装したという直売所(バー)へと案内して頂きました

前日光醸造所 棚に日本酒のボトルが陳列されている

昭和の型板ガラスなど、当時の面影をあえて残しながらリノベーションされた空間は、どこか懐かしく、とてもおしゃれで落ち着く雰囲気です。

お酒メニューが書かれた黒板と瓶に入った日本酒の写真

この直売所では、搾りたての日本酒を試飲し、量り売りで購入することができます。前日光醸造所では日々、酒米や精米歩合、酵母などを変えながらオーダーメイドの醸造を行っているため、「ひとつとして同じお酒はない」のだそう。

木製のカウンター上に並ぶ日本酒の瓶 壁際にステンレス製の業務用冷蔵庫

力仕事で心地よい汗を流した後に味わう搾りたてのお酒は、その日その時にしか出会えないまさに「一期一会」の味。疲れた身体に染み渡る極上の体験が味わえるでしょう。

消えゆく酒蔵の灯火を守る事業承継と、廃校という地域のシンボルを活用したエンターテインメント性あふれる酒造り体験、そして緻密な計算で理想の味を創り上げる究極のオーダーメイド醸造。古き良き日本の酒造り文化を後世へ伝えながらも、これまでの常識にとらわれない革新的なアプローチで日本酒の新たな楽しみ方を提示する前日光醸造所。彼らの挑戦は、これからも多くの人々を巻き込みながら、日本酒業界と地域の明るい未来を照らし続けていくはずです。

【前日光醸造所(小林醸造株式会社)】
 ・ 所在地: 栃木県鹿沼市上粕尾393-1(旧上粕尾小学校)
 ・ 代表銘柄: 鹿沼娘、前日光酒聖
 ・ 事業内容: オーダーメイド日本酒の醸造、酒造り体験・ワークショップ、直売所の運営
 ・ 公式サイト:https://smallforest.co.jp/

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